岩手県の農家です。トマトと米、様々な野菜を作っています。
by FUMI @ IHATOV |
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2005年12月10日 往復で8時間~10時間と聞いていたので、早朝出発が必定。 なんとしても寝坊はできない! と意気込みすぎて、よく眠れないまま朝を迎えた。 AM5:30頃近くの弁当屋さんで"登山弁当"を購入。 7:00頃、荒川登山口からトロッコ道・森林軌道を歩き出す。 と振り返ると、トロッコが近づいてきた。 慌てて端っこに寄る。 乗っていたのは、土埋木を運び出す工員達のようだ。 橋の手前だったので命拾い。 (実際は徐行してくるし警笛で知らせてくれるので、危険は少ない。 等間隔に待避所も有り。) 小杉谷には、1923(大正12年)、屋久杉伐採の最前基地が置かれた。 最盛期には133世帯、人口540人の大集落があった。 "お国"の政策によって、貴重な屋久杉がどんどん切り出されたという、 負の歴史的部分と、 それからの森の再生事業について、 詳しく解説板が伝えてくれる。 そして、ここから枕木部分には木道が設置され、とても歩きやすくなる。 苔生した石垣。 この辺から、ガイドさんが引き連れるグループを一つ二つ追い越しながら登ってゆく。 白谷雲水峡で出会った素敵な女性二人も追い越す。 今日はガイドさんも一緒で、のんびり楽しく歩いていた。 トロッコ道の終点から大株歩道へ入って間も無く、ウィルソン株到着。 先に休憩していたグループのガイドさんに確認して、 切り株の内部に入ってみる。 信じられない大きさ。 誰でも拒むことなく、優しく包み込む大切り株。 大正時代に調査をしたアメリカ人にちなんで呼ばれているが、 ウィルソン博士が発見したわけではない。 この切り株は、豊臣秀吉の命令により大阪城築城の為に切られた、 とのいわれも残る。 胸高周囲13.8m。 申し訳無いほどに整備が行き届いている。 長年寄り添っているうちに、お互いの腕(枝)を絡め繋いでしまったらしい。 縄文杉との対面を済まし帰るところで、 つまり夜も明けぬうちに登り始めたらしい。 それにしても、今日もスリッパとは・・・・・・ナイス根性!! その存在感は格別だ。 人間の小ささ、というか私自身の小ささを感じる。 たまたま23年生きながらえ、樹齢7200年ともいわれる縄文杉と、 幸運にも数十分の瞬間を一緒に過ごす事ができた。 私が普段感じる怒りや悲しみは本当に小さい事だし、 縄文杉の樹皮が剥ぎ取られた事件すら、ちっぽけに思える。 この後何千何万年後かに、この木が朽ち果てようとも、 すべて受け入れてゆく偉大なる大自然。 縄文杉。 (樹皮剥ぎ取り事件について詳しくはコチラ) 私がボケーっと縄文杉を眺めている間に、追い越してきたグループも到着。 この後、グループ皆が昼食をとっていた休憩所にお邪魔して、私もランチタイム。 ガイドさんは、グループの為にコーヒーを沸かし、私もご馳走になる。 標高約1300m。 あったかい人情とコーヒーが身体に沁みる。 私と同じくらいの子供がいるそう。 冬山もやるという、いわゆる"山屋"のおじさんは、 歩くのも速い速い。 朽ち果てたトロッコを、最後にカメラに収める。 私が屋久島トレッキングを終えるのを待ちかねたように、 天からポタリポタリと、雨粒達がその勢いを強めていった。
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by ihatov-farmer
| 2005-12-10 17:15
| …05屋久島紀行
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